誰かに批判されたら、僕ならこう返す。
「じゃあオマエ、エレコ作れるのか?」
って。
Contents
誰しも、「できること」があるなら、「できないこと」がある
誰かの、何か「できない」「悪い」部分を批判しようとするなら、その批判する側の人間は、じゃあ「カンペキ」なのか?という話。
そうじゃないよねぇ。
誰もが、当たり前に。
僕には、僕にしかできないことがある。
でも、その代わりに、できないこともいっぱいある。
誰もが、何もかもが、みんな、そうだ。
すべての性質や能力や技術は、ポジティブとネガティブが表裏一体だから。
「ひとつのことに集中する」という性質を選ぶ代わりに、「沢山のことを同時にやる」という性質を手放す。
「好奇心」という性質を得ると、付属品として「飽き性」もついてくる。
「リーダーシップ」を取ろうと思ったら、「サポート」は同時にはできないし。
「安定して落ち着く」を選ぶなら「ノリと勢いで突き進む」ができなくなって当然なんだ。
誰しも、「できること」があるなら、「できないこと」がある。
どんなに仕事がデキる人間でも私生活がクズだったり、
物覚えも要領も悪い人間でも運動能力はズバ抜けて高かったり、
そういうことが、必ずある。
「批判」とは、相手の自分らしく生きる権利を踏みにじる行為だ
誰かに何かをされた時、それに対して「怒り」を感じるのは自然だと思う。
直接的に何かをされたなら、時にはやり返すことだってあってもいいかもしれない。
誰かが取った「自分らしい」行動が、他の誰かの「自分らしい」を侵害してしまうかもしれない。
そりゃ、そういうことは有り得るよ。
ただ・・・・
「怒りを伝える」ことと、「批判をする」こととは、ワケが違う。
「怒りを伝える」とは、単純に自分発信のことだから。
「自分が自分らしくある」ための行為だから。
でも、「批判をする」とは、相手に何かを強いる行為だ。
「相手を自分らしくいさせない」ための行為だから。
相手の、自分らしく生きる権利を踏みにじる行為だからだ。
「あなたがあなたらしく生きることを私は良しとしません」というエネルギーの行為は、本当に、ただの「侵略」だ。
「批判」・・・・つまり、他人に対して良し悪しのジャッジをするという侵略行為には、そりゃ、された側は反撃せざるを得ない。
つまり、「批判し返す」ということを。
こんなん、泥沼だから、誰も得しないんだけれどもさ。
他人から批判されたら「じゃあオマエ、エレコ作れるのか?」と返そう
でも、例えば僕が、僕の何かできない部分を「批判」されるのなら、僕らしく生きることをその人は良しとしてくれないってことだ。
その人から離れれば済むなら、そうするけれども、とはいえ、僕が僕であることをその人の基準でジャッジされるのは良い気分じゃない。
だから、そんな時は、こう返す。
「じゃあオマエ、エレコ作れるのか?」
って。
この程度のシステムを組むこともできない低能が、他人を批判できると思ってんの?って。
少なくともその点で僕より明らかに劣っている人間が、僕に何を偉そうに言うわけ?と。
それはそれはもう、皮肉たっぷりに伝えてあげよう。
・・・・・と思えばこそ、特に何も怖いものはないよね。
自分には自分の、できることとできないことがある。
他人の役に立つこともできれば、迷惑をかけることもあるだろう。
でも、それで当然だ。
そして、すべての人が、そうだ。
4つの属性であなたの才能を紐解きます!
エレメンツコード®︎無料診断レポートはこちらから
*****************************
*****************************
*****************************
*****************************
エレメンツコードとは
【公式】エレコLINEスタンプシリーズ、好評発売中!
第1弾
第2弾
より詳しく知りたい、学びたいという方へオススメ
『グリモワール』~エレメンツコード®の属性別キーワード資料集Ver.3
Facebookにて情報発信中!フォロー歓迎!
Facebookアカウント
Twitterアカウント