競争社会に生きるのに疲れた人たちが、よく「もっと本質的な生き方をしよう」って言いだすんだけど、
僕はこれに大きな違和感があるのですよ。
競争社会だって、立派に「本質的な生き方」ですよ。
まぁ、エレコ的には「風」向けの世界観だなぁっていうだけで。
こういう思考の偏り、よくありますよねー。
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「競争社会」「資本主義」などに対して、「本当にやりたいことをして自由に生きる」をカウンターパートに持ってきて、
みんながそうして生きるべきだって言ったり。
「競争社会」のほうが「本当にやりたいことをして自由に生きる」実感が持てる人もいるでしょうに。
あとは、「分離」を殊更によろしくないもの扱いして、「統合」を推奨しまくったり、っていうのもよく聞きます。
「分離」の中でこそ光る才能だってあるだろうに。
これ、結局は「対立」の思考であって、前提が間違っちゃってるんですよね。
「本質的なものと本質的じゃないものがある」と分けて考えた瞬間に、
その発想自体が本質的じゃないことに気付いていないという、落とし穴です。
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発想の流れとしては分かるんですよ。
そりゃ、競争であるとか資本主義であるとか、そういったものに支配されている社会の中で、
自分らしさを失って疲れちゃう人たちが出るのは当然です。
ですから、そういう人たちからしてみれば、「こういう社会って本質的じゃないよね」って感じてしまうのは分かります。
でもこれ、ただの個人の感想を過度に一般化してしまっている、誤ったものの見方なんです。
だって、シンプルな話、「競争社会よりも自由な生き方の方がより本質的で人間らしい!」って、
あなた、「競争社会」と「本質的な生き方」とやらで比べて競争させちゃってるじゃないですか笑
「資本主義よりも自由の方が価値がある!」っていうのも同じね。
どっちが価値があるのか、価値の大小で決めるのはまさに資本主義的な物の見方でしょ。
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本当に「競争社会」から離れようとするなら、
「競争」のカウンターパートを探すのではなくて、「競争」を包括できるようなひとつ上の次元の概念を探すべき。
本当に「資本主義」から離れようとするなら、
「資本主義」よりも価値があるものを探すのではなくて、「資本主義」とも仲良くできるより大きな枠の概念を探すべき。
でも、まだまだわりと多くの人が、「反対側」に行きたがるんですよね。
気持ちはわかる。でも、それは結局同じ土俵の上で逃げ回ることに過ぎず、
本当に脱却することはできないんじゃないかと思うんです。
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ちなみにエレコ的に捉えれば、「競争社会」や「資本主義」を否定して「平穏」や「個人の自由」を望むのってつまり・・・・
「『火』や『風』よりも『地』や『水』の方がいい!!」って言ってるのと同じじゃないですか。
結局、偏った属性への贔屓じゃないですか。
そりゃ、「火」「風」全盛の社会において、他の属性の人が疲弊するのは分かります。
けれども、かといってじゃあ今度は「水」や「地」に寄せようとしたところで、
結局「誰かは息苦しくなる」という構図は永遠に変わらないままなんです。
自分が苦しいことを言い訳に、「今度はお前が苦しめよ」って押し付け合うだけになってしまう。
それじゃ、何も変わらないじゃないですか。苦しさの押し付け合いに正当性があるはずもない。
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結局のところ、「より良い世界」を作ることができるのは、
今の世界へのアンチテーゼではなく、今の世界とそのアンチを両方愛することができる
「第三の考え方(ジンテーゼ)」なんじゃないかなと思います。
つまり、「火」「風」の「競争社会」「資本主義」から脱却したいなら、
「水」や「地」のエネルギーが大切なんですけど、
だからこそ、この属性が取るべき行動は「対立」ではなく「受容」なんです。
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すなわち、
「競争社会」も「資本主義」も、まるごと愛して受け入れること。
素敵だねぇ、頑張ってるねぇって、
その世界とそこに生きる人々を愛してあげること。
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愛するっていうのは、嫌いなものを無理やり好きになれみたいな話ではなくて、
どちらか一方に肩入れするような偏った状況を脱するってこと。
嫌いだからって攻撃していい理由にはならないでしょ?
特に「水」「地」の皆さんはそうでしょう。
「私とは違う感じだけど、そっちはそっちで頑張ってるんだね」って、
お互い尊重し合うことが、すなわち「受容」するということです。
そっちの方が、「本質的な生き方」をしたい人にとっては、より本質に近いと思うんだけどな。
こーゆー小難しい話、あんまり人気ないかなーと思うんですけど。
でも大切なことだと思うのでね。
とにかく、「どれかひとつの属性に偏った状況」に対して、ステージを上げていくというのであれば、
「別の属性に偏る」じゃあんまり意味がなくて、
「どの属性も等しく尊重される状況」にしてナンボでしょ、っていう話です。
他人軸を押し付けられることに嫌気が刺したからって、今度は自分軸を押し付けてしまったら意味が無い。
男尊女卑の時代が長かったからって、今度は女尊男卑にしちゃったら意味が無い。
「風」の圧に辛酸をなめさせられたからって、今度は「風」を迫害してしまってたら意味が無い。
同じ土俵で戦ってる時点で、何も変わっていかないのです。
グルグル回ってしまうだけなのです。
まぁ、その「グルグル回ること」に対して、意味が無いとかあるとか、
そういう発想をしてしまう時点で僕は「火」人間なんですけどね笑
でもそれは、僕の僕らしい発想だから別にいいのかなって思ってまして。
なので、「グルグル回ること」も悪くはないと思います。
そういう、偏った押し付け合いのループを、それをそのまんま楽しめるのであれば。
「楽しい」「面白い」があれば「水」の発想としてもOKなことだし。
そこに安らぎがあれば、もしくは人との繋がりが生まれれば「地」にも大切なことだし。
その「グルグル回ってる状態」からお金でも生み出せたら「風」としてもサイコーだし。
僕は「火」人間として、意味とか価値とかを大切にしたくなっちゃうから、
「それじゃ意味なくない?」って投げてしまうだけの話です。
グルグル回ってること自体は、だから、別に良いと思うんですよ。
それをどう捉えるか次第ね。
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