自分の「ありのまま」を認めてほしいなら、自分と相性が合い、エネルギーの釣り合いが取れる人とだけ付き合っていたらいいのです。
それは「性質」だけの問題で「実力」は関係ないからです。
しかし、今手元に無い何かを求めるというのは、それにふさわしい「実力」を試されるということです。
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ありのまま生きたいなら知っておくべきこと
エレコ的に言えば、別に4属性に優劣なんて無いですし、エネルギー規模にも良い悪いなんてありません。
どんな性質、どんなエネルギーの人も、それがその人の個性であり、尊重されるべき素晴らしさです。
けれども、各属性によって物事への向き不向きはあります。
何かをやろうとした時は、それに対する適正を問われます。
当然ですね。
ビジネスで成功したいなら風のエネルギーは必須です。
火のエネルギーが無いのに研究者になるのは無理です。
沢山の人と友達になるなら水のエネルギーを使わなくてはいけません。
地のエネルギーが無ければ足元固めてリスクヘッジはできません。
自分の性質と合わない違うものを求めておきながら
「ありのままを認めてほしい」というのは、とてもとてもズレたエゴです。
南極とカメレオン
寒さから身を守る毛皮の無い爬虫類が、南極大陸で暮らしていけるわけがないですし、エラ呼吸しかできない魚類が陸上で暮らしていこうとするのも無理な話ですよね?
カメレオンが
「おれは周りの景色に溶け込める素晴らしい才能を持っているのに!南極で生きていけないなんておかしい!!南極が寒いのが悪い!!南極が間違ってる!暖かくなるべきだ!!おれの擬態の才能を認めるべきだ!」
なんて言っていたら、とってもバカバカしいことだと思いませんか?
カメレオンはジャングルで暮らしていたらいいのです。
それこそ、その場でのその能力は、とてもとても素晴らしいと思います。
でも、南極に来たら意味はありません。
そんな才能はあってもなくても認められず「存在否定」されるでしょう。
けれど、それって、南極が悪いのか?っていう話で。
違いますよね。
こういうことが、人間社会にも往々にしてあるのではないかと思います。
風のエネルギーが全然無いのにビジネスで結果を出そうと足掻いてみたり、
火のエネルギーを持ってないのにちょっと理屈聞きかじって知ったかぶりをしたり、
水のエネルギーがカラカラなのにパリピ演じて空回っていたり、
地のエネルギーがスカスカなのに細かい作業やってミスばっかりしていたり。
それは、苦しいでしょう。
そうやって足掻いているあなたも苦しいでしょうが・・・・
そういう、合わないあなたがその場にいることで、周りの人たちも苦しいのです。
カメレオンが南極にいてもペンギンは助けてくれないけれども、人間社会では弱者を助けようとしてしまうんですね。
「南極はもうちょっと暖かくなるべきだ!」とか言って、「爬虫類同盟」が直訴起こすようなことが起こるのです。
それで、その「世間の圧力」に負けて南極がちょっと暖かくなるとします。
すると、今度は氷が解けて海に流れ込み、海流が乱れたり海水面が上昇したりして、他のところで他の大きな問題をもたらします。
そんなに暖かくなったら、今度はペンギンが暑さで生きていけなくなる。
さらには地球温暖化や、異常気象の出来上がりです。
・・・・人間社会も、そういうところがあるのではないでしょうか。
南極に対応する工夫かジャングルに帰るか
最初どこかで生じた歪みを、無理やりねじ伏せようとしたおかげで、どんどん連鎖的に歪んでいってしまうのです。
この「カメレオンと南極」の話で言えば、地球全体の異常の原因はそもそも
「カメレオンが南極に来なければ良かったのに」ということになります。
カメレオンがただただジャングルで自分の才能を活かして生きていたら、こんなことにまで発展していません。
もしくは、南極に行きたいのなら、カメレオンのままではなく、毛皮をまとうなり何なりして、「南極に対応する体」を作るべきでした。
それをせず、「自分はカメレオンなんだからカメレオンらしさを認めてくれるべき!」と主張して、南極の方を捻じ曲げてしまうから、大問題になるわけです。
南極で生きていけないカメレオンと「社会的弱者」っていうのは、イコールではありませんが、似ているところがあるのではないかと僕は思うわけです。
僕が南極だったら、そして地球全体のことを想うのだったら、カメレオンに言うべき台詞は決まっています。
「ジャングルに帰れ。そうでなければそのまま死んでください。」です。
ちょっと過激ですが、
“南極は寒いまんま、その寒い中で生きていくペンギンたちのための環境”なのだから。
カメレオンが頑としてジャングルに帰らないなら、ペンギンたちのために、カメレオンを寒さで殺さなければならないのです。
しかし、カメレオンに死ねと言う南極は、「冷たい」「悪いやつ」なのでしょうか・・・・?
すべては適応できるかそうでないか
以上のようなことを、エレコの構想を始めた10年以上前からずっと考えています。
実際の人間社会では、南極に来たカメレオンの中にも、「自分で望んで来たやつ」と「知らず知らず迷い込んでしまったやつ」がいる。
前者には容赦なく吹雪を叩きつけてやればいいと思うけれども、問題は後者です。
今までの、多くの機構や社会団体は、「南極に迷い込んできたカメレオンがなんとか南極で生きていけるように環境を改善しよう」という考え方だったのではないでしょうか。
なんとか運動、なんていうのは、社会を悪者にしてそれを変えさせようとするのが世の常です。
けれど、それではひとつの問題を解決しても、その解決したことが原因で、別のところにまた新しい歪みを生み出すだけです。
だから、それではダメなのです。本当の意味での解決になりません。
誰かが「悪い」と言うその「社会」は、もう本当は「完全」なのです。
「自然」が自然のままで「調和が取れている」ように。
もちろん、時とともに少しづつ変化はしていきますが。
だけど「変えねばならないもの」なんて、実はひとつもないのです。
全ては、「適応できるかできないか」という、ただそれだけのことなのです。
自分に合った社会を見つけよう
自分が居たい社会に合う自分を育てよう
だからもし、僕が社会活動を提唱するなら「社会を変えよう」なんていうのは、一切しません。
「自分に合った社会を見つけよう」か
「自分が居たい社会に合う自分を育てよう」か
そのどちらかです。
カメレオンをジャングルに案内してあげることか、
カメレオンに毛皮をまとわせてあげることか、です。
僕は、社会を変えません。
勝手に変わっていくであろう社会の中で、しっかり自分を捉え、社会を捉え、自分が生きていける環境を探すとともに、自分自身を変化させて対応させていくだけです。
ただ、もちろん、だからこそ「社会を変えよう」という通念を持った人の社会のことも、僕は否定しません。
変えたければ、変えるために頑張ったらいいのです。
「社会を変えようとする生き物」なんでしょう。きっとそういう人は。
僕は、否定もしない変わりに、賛成することも迎合することもしません。
好きに変えていってくれたらいいのです。
ただ、僕に「変えさせよう」とするなら、僕はそういうチカラからは逃げるし、時には徹底抗戦します。
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